いま、一年が過ぎた

久方ぶりです。結局日記を毎日つけるという行為は苦手らしく、このブログも放置してしまいました。

修士論文を提出し、来る院試におびえながら生活していた昨年度の冬に比べると今年の冬は穏やかなものでした。年末は修士課程二年間の間に自宅に積もった埃と溜まった塵を一掃し、人間らしい生活に戻る準備を整え、その後第九を聴き、友人や研究室仲間との忘年会に繰り出す―素敵な時間でした。思えば修士課程はコロナ禍による人間関係の希薄化という公の要因と、当時お付き合いしていた人からふられるという私的要因によって精神的に参った状態からスタートし、その荒れた心を可視化したかのように六畳間とキッチンしかない狭い自宅も捨てるタイミングを見失った空き缶、空き瓶、ペットボトル、レジュメ、チラシ等々で埋め尽くされ、そんな状態で二年以上暮らしていたわけです。その生活上の膿を取り除いてしまえば気持ちも晴れ晴れとし、なんだか年が明けたら素敵な人生を送れるのではないか―なんて根拠のない期待さえ抱いてしまう、二〇二三年最後の一週間はこんな淡い水色をした心持ちで過ぎていきました。

年始は特に予定もなかったため、大晦日に帰省したのち一週間は故郷で過ごすことができました。三が日は完全に寝正月と化しましたが、それもまたよし、ということにしましょう。

ところが四日の午前に―詳細は言えないものの―少々今後の人生の予定に変更が加わるかもしれない一文が届き、結局その日はずっと浮かない表情で過ごすという、新年早々穏やかな気持ちではいられなくなってしまいました。

人生四半世紀が過ぎ、周囲は就職、転職、昇進、同棲、結婚等々それぞれに人生を進めている中、自分はずっと同じ研究室で同じ景色を眺めており、学年や課程の上ではステップを踏んでいるように見えても実際は地団太に過ぎない―それがここ三年の生活上の所感でした。何らかの形で環境を変えたほうがいいとは思いつつ、その方法もわからないし準備の時間もない。そんな折に、ちょっとだけ人生が前進するかもしれない一文が寄せられたのです。

 

学期末はゆっくりすごせるかな~なんて思っていたのも束の間、急に忙しくなってしまいましたが、忙しいほうが余計ことを考えなくて済むのも事実です。とりあえず、色々と足掻いてみるつもりでいます。そして今年も貪欲かつ誠実に研究に取り組む次第です。

今年もよろしくお願いします。

6月 第5週/7月 第1週

6/26(月)
院試の口頭試験で大きなミスをして試験に落ちる夢を見た。実際には受かっているので現実ではないことは確かなのだが、夢現の状態の30分ほどは本当に落ちたと思い込んでしまい、かなり心臓に悪かった。結局早起きなどできず、昼頃大学に向かう。途中、スーパーのイートインで昼食を摂りつつ読書会の準備をする。
15時ごろ、後輩と空き講義室で独語の読書会をする。その後後輩を連れて売布神社の映画館に映画を見に行く。今日は『ザ・ホエール』を観た。恐ろしく暗い映画であり、そして場面の変化は(回想でほんの少しだけ登場する海辺以外)無く、全てが主人公チャーリーの家で完結するという作品で、一歩間違えばひどく退屈な映画になる作りをしている。しかし、ゆっくりと登場人物の過去や人間性、物語の背景が見えてくる作りのおかげで飽きることはなかった。本作ではメルヴィルの『白鯨』、そしてそれについて娘が昔書いた感想文が大事な役割を果たす。その感想文は、まさにこの物語を暗示しているように思う。感想文の中に、「鯨の描写の退屈な章にはうんざりさせられた。語り手は自らの暗い物語を先送りする」という一節がある。チャーリーの過去の話は徐々にしか明らかにされず、退屈するかしないかギリギリのラインの描写が2時間にわたって続く、この映画の筋とも合致する。本作にわかりやすい救いは存在しないし、実際それでいいのだとも思う。心に残る部分の多い映画だった。
焼き鳥屋と行きつけの居酒屋で飲んだのち、深夜に帰宅する。日本酒が美味しかった。

 

6/27(火)
2時間ばかりの短い睡眠ののち、9時頃家を出る。昨日に引き続き映画館に向かう。ずっと観たいと思っていた『TAR』の上映がもうすぐ終わるのだ。
作品前半はとても良い出来だったと思う。ミステリテイストの作りは引き込まれるし、時間をかけて丁寧に描かれた背景も面白いし、ところどころに散りばめられた音楽ネタも楽しい。そのぶん、後半は唐突かつ乱暴に思えた。「アジアでゲーム音楽を演奏する」というラストは、時たま見かけるような「アジアや商業音楽への蔑視」ではないと思う。むしろ、一部のそう思った観衆に対し、それはターが物語冒頭にジュリアード音楽院で語っていたような「音楽の外の要素で作品を好き嫌いする態度への危険視」と紙一重であることを警告しているように思えた。しかし、であるならばマーラー5番の演奏会での事件以降の推移をもっと細かく描いて欲しかったと感じてしまう。
昼過ぎに大学に向かい、学部の自習室でチェコ語の勉強をしたのち、ゼミに出る。
ゼミの後、図書館で研究をしてから帰る。

 

6/28(水)
本当に最近はよくない。今日も11時台にようやく起きた。昨晩はそれなりに早く寝られたのに。12時半頃大学に向かい、昼休みはチェコ語の勉強に充てる。3限にチェコ語の小テストがあるのだ。
小テストは無事終えた。動詞の活用や名詞の語尾変化を覚えるために、まるで英語を習う中学生やドイツ語を学ぶ大学1年生のように只管に書いて読んでを繰り返す勉強をしていると、懐かしさすら感じられる。
その後、用事で関西空港まで行く。行きはラピート、帰りははるかに乗るという贅沢をした。
22時頃帰宅。家に福岡土産のラーメンがあるので、近いうちに美味しく食べるためにチャーシューを仕込む。

 

6/29(木)

結局生活習慣は崩れてしまったようで、今日も昨日と同じくらいの時間に起きる。昨日仕込んだチャーシューを使ってラーメンを作る。なるほど、おいしい。自作した甲斐があったというものだ。

16時頃、家を出る。駅構内のタリーズで時間をつぶしたのち、後輩と落ち合って大阪市内に出る。いずみホールで行われるオルガンの演奏会に行くのだ。

オルガンの生演奏を独奏作品で聴くのは実は初めてだったのだが、オリヴィエ・ラトリーの弾くオルガンは実にワクワクとさせるものであり、ホールの音響もよく、たいへん満足した。とくに後半のパストラーレとトッカータとフーガ「ドリア調」はある種の凄みすら感じさせる素晴らしいものだった。

即興演奏のもとの主題はドリカムだったらしい。

餃子を食べたのち帰宅する。

 

6/30(金)

低気圧のせいだろうか、体調が芳しくなくほぼ一日を寝て過ごしてしまった。781系電車が脱線・転覆する夢を見た。

夜20時頃スーパーに買い物に出る。1日に1回でも外に出れば、まだ生きている実感がわくというものだ。

 

7/1(土)

午前中にゆっくりと起きる。午後からのバイトの前に洗濯を済ませる。

アルバイトは多少時間が長引き疲れたが、滞りなく終わった。帰りに松のやでカツとエビフライの盛り合わせ定食を食べて帰る。

 

7/2(日)

会期が今日までだということをすっかり忘れていた、京近美の展覧会に行く。河原町駅から地上に出ると湿気を含んだ熱気が押し寄せる。何もしなくても肌がべたつくような空気の中を、これから30分ほど歩くことになるのだ。右後ろに東華菜館、左手前にレストラン菊水、右手前に南座を臨みつつ四条大橋を渡り、川端通を北に向かう。途中で祇園のほうへと方向を変え、そこからは白川に沿って歩いていく。川べりの柳のおかげで多少は暑さもましに思えてくる。川伝いに進んでいけばやがて岡崎公園にたどり着く。

「Re: スタートライン」展は1960~70年代に京近美が行っていた展覧会を検証することを目的にした展覧会だった。戦後日本美術を振り返る意味でも、当時の芸術家と美術館の関係、そしてアートシーンを再考する意味でも面白い展覧会だった。図録も手が込んでおり、当時の展覧会の様子や冊子、新聞記事等をまとめたドキュメントとして非常に価値のあるものに仕上がっていた。今展覧会の様子や芸術家・専門家の講演録を収録した第2巻も企画されているとのことで、かなり気合の入った企画だと感じた。近年戦後日本美術を扱った展覧会も増えていることだし、このような作品や作家のみならず当時のアートシーンも含めて検討し、それをドキュメントの形で残すような展覧会が、今後も行われれば嬉しいと思った。そして、明治期の初期日本西洋画や2,30年代の日本のアヴァンギャルド、戦中期の戦争画等も同様の水準で再検証されれば……などと考えていた。

常設展を含めて3時間半ほど鑑賞したのち、美術館を出る。岡崎公園から二条通を鴨川方面に向かうと、ちょうど西に傾く太陽と向き合う形になり、暑さと眩しさに体力を吸われていくような感覚に陥る。阪急電車に乗るには遠回りな方向に進んでいるのには理由がある。ちょうど川端通と交わるあたりに、前から気になっていたポーランド料理を出すブックカフェがあるので、そこに寄ろうと思ったのだ。

感じのよいご夫婦が営んでいる、洒落た店だった。何も知らずに行ったのだが、ご主人の本業は経済史の学者であり、少々専門的な話も聞くことができたのは思いがけない喜びだった。地下は書庫になっており、専門書から文庫、漫画等の多様なコレクションを見せてもらえた。料理もおいしくいただいた。また近辺に来る用事があれば寄ってみようと思う。

19時半頃帰宅。明朝に洗い終わるように洗濯機をセットし、床に就く。

6月第4週

6/21(水)

昨日はひどい一日だった。何か嫌なことがあったというわけではないのだが、どうも気分が乗らず、ゼミの前半を休んでしまった。軽い飲み会もあったのだが、人と話す気にもならず、夜までひとり研究室に残っていた。

そんな具合だったので今日は少しでもましな一日にしようと思っていたのだが、いきなり出鼻をくじかれた。起きたら11時だったのだ。8時にセットしたアラームで一度起きた記憶はあるので二度寝である。なんと怠惰なことか。

3限のチェコ語の授業に出た後、研究室に向かう。昨日あんな具合だったので先輩に心配されてしまった。申し訳ないことだ。17時過ぎまで研究室で論文を読む。途中、同期や後輩と雑談をする。昨日よりはだいぶ気分が軽くなったように思える。

研究室を出たのち、売布神社駅前にある小さな映画館に向かう。美術が研究対象に、音楽が半ば生活を構成する要素の一部となったぼくには、「娯楽」が欠如していた。普段映画は殆ど観ないのだが、軽めの趣味としてはいいのでないか、と思ったのである。

伏線の線路の両側にホームが伸び、その一番端に小さな駅舎がある―売布神社の駅は、ごくありふれた私鉄駅だった。その駅に直結する形で商業施設と公共施設が組み合わされたようなビルがあり、その5階に、2つのスクリーンを持つ映画館が設けられているのだ。

本当に小さな映画館だった。ちょっとした待合室の奥にチケット売り場があり、その左右に客席に通じるドアがある。待合室には飲み物と軽食を提供するカフェーが併設されている。それだけだった。しかし、そのこぢんまりとした雰囲気はとても愛おしく思えた。目星をつけていた「パリタクシー」のチケットを購入する。

開演まで30分間あるので、カフェーでコーヒーを頼む。次第に待合室には人が増えてきた。その多くはお年寄りだ。

18時半ごろ、右手の扉が開いた。客席が思ったよりも混んでいるように感じるのは、数十席の小さな箱だからなのだろう。小説を片手に映画が始まるのを待つ。

作品は「笑って泣けるいい話」だった。マドレーヌの生涯は壮絶で驚く場面も多かったが、結末は想定内のもので、そういう意味では普通の映画だった。しかし、その普通さがぼくを安心させた。何よりも、終演後に「よかったわね」と言いながら帰る老婦人方とともにスクリーンを後にするとき、不思議と幸福感に包まれたのである。

映画について一つ思ったことは、アメリカ的要素の扱われ方である。パリを解放したアメリカ軍、その直後のマドレーヌの初めての夜のお相手たる米兵、作中の随所で使われる英語の歌、彼女の息子の命を奪ったベトナム戦争。おそらく「アメリカ」という要素はこの作品の基礎にある一要素なのだろうが、しかしそれが映画の表象にとって何を意味するのかは、まだ自分の中で消化できていない。

20時ごろ帰路に就く。帰り際にコンビニで冷凍のホルモン焼きと砂肝を買う―家の冷蔵庫で残ったカット野菜と一緒に炒めればそこそこおいしいのでは、と思ったのだ。

謎の炒め物はかなり味が濃く、失敗だった。

寝る前に洗濯物を洗濯機に放り込み、明朝に洗い終わるようにタイマーをかける。洗剤が終わりかけていて、微妙に推奨量に足りなかった。

 

6/22(木)

7時半頃、洗濯物が仕上がった音で目覚める。珍しく早く起きられたことに感激するが、そんなに気分はよくない。これはたぶん今日が雨だからだろう。洗濯物を部屋に干し、軽い朝食をつくり―そうしているうちに2時間近く経ってしまった。世の人々は、毎朝早く起きて家事をこなし、仕事に出ているのだと思うと本当にすごいと思う。10時頃家を出たのだが、財布を忘れたことに気づいていったん家に戻る。そのくせ雨に備えて替えの靴下をカバンに入れていたりするので、そのあたりのバランスが悪すぎる。このせいで大学到着は11時少し前になってしまった。どうも、ぼくは生きるのがヘタクソなようだ。12時半ころまで研究室で論文を読む。人が増えてきたので13時から7は図書館で論文を書く。投稿予定は今秋なので急ぐ必要はないのだが、なるべく余裕をもって仕上げたいのと、初めての雑誌論文で少々気分が高揚しているのとで今から書き始めている。15時過ぎごろ、大学を出る。今日も映画を観に行くことにしたのだ。最寄りの中津駅で降り、梅田スカイビルを目指す。中津駅は梅田から一駅だというのに、高架下には時代に取り残されたような飲食店が残っており、その独特なた佇まいには心惹かれるものがある。大きな門のような形のスカイビルは遠くからでもよく目立つ。地図を見る必要もなく、10分もかからずに到着する。ビルの麓には掲揚台が6本並んでおり、うち5本に旗が力なく垂れ下がっていた。左からゲーテ・インスティテュート、イタリア、日本、ドイツ、EU。わずかに風が吹き、旗がやっとなびく。この時、イタリアだと思っていた国旗がメキシコ国旗であることに気づいた。

大阪に7年間住んでいながら、スカイビルに来たのはおそらく過去に2回しかない。1回目は、友人と空中回廊に上った時。2回目はクリスマスマーケットに行った時である。それくらいしか記憶がないので、このビルに映画館があることも知らなかった。

きょうの目当てはソクーロフの「独裁者たちのとき」。ちょっと前にSNS上で予告を見かけて気になっていた作品である。二日連続で映画を観るのもなんだか急な話だが、今日が「独裁者たちのとき」の上映最終日だったので行くことにしたのである。

感想は一言で書けるようなものではないし、たぶんぼくはあの作品の内容を1割も理解できていないと思う。理解するようなものでもないのかもしれない。しかし、なんだかとてつもないものを観た、そんな気持ちにはなった。

本筋とは直接関係なさそうな点で思ったことをいくつかメモしておく。背景描写がピラネージの版画のようだ、と思って観ていたのだが、これはどうやら正解らしい。あと、やっぱりヴァーグナーは使うんだ、と思った。

18時頃映画館を後にする。夕食を作るのが面倒だったので松屋を食べることにする。牛めじは現在400円。高校の頃は280円だったよなあ、と毎度思ってしまうのは金欠学生の哀しい性分というべきか。

昨晩のことを思い出し、面倒だが遠回りしてスーパーに寄り、衣料用洗剤を買って帰る。

 

6/23(金)

どうも、体が重い。目が覚めたのが11時頃だった時点で、今日がそんなに良い日にはならないことが約束された。大学に行くのも面倒なので家で時間を潰す。頭が痛いのでイブA錠を飲む。効いているかはわからないが、鰯の頭よりは効果はあるだろう。

22時頃に洗濯が終わるように洗濯機をセットし、家を出る。駅前の松屋で単品の牛焼肉と白米を食べる。

17時頃、京都に向かう。京響定期演奏会に行くためである。阪急と地下鉄を乗り継ぎ、18時20分頃に北山に着く。開演まで1時間ほど時間があるので、進々堂で時間を潰す。京響の演奏会の前に、ここの2階のイートインスペースでコーヒーとカヌレをいただくのが毎回のルーティンなのだ。今日は生憎カヌレが売り切れていたので別の菓子パンを買う。

演奏会は満足のいく出来だった。サン=サーンスソリストとオーケストラのバランスがとても良かったし、バルトークも熱を帯びながらも整理された好演だった。

室町のキラメキノトリで鶏白湯ラーメンを食べてから帰る。特急や準特急は混んでいそうだったので普通列車でゆっくり帰った。

 

6/24(土)

11時頃、ゆっくりと起きる。早く起きられたら楽器の練習か映画鑑賞でもしようと思っていたのだが、到底できそうにない。12時半頃に家を出て、西宮北口に向かう。バーミンガム交響楽団の来日公演があるのだ。前半のブラームスのヴァイオリン協奏曲は、非常にかっちりとした樫本大進のソロと、明るい響きCBSOという対照的な要素が不思議と心地よく感じる演奏であった。リズムを歯切れ良く聴かせ、絢爛にtuttiを響かせるようなブラームスの作り方は、おそらく本邦のオケならしないだろうと思った。一番のお目当てはプログラム後半、エルガー交響曲第1番である。演奏機会はそこまで多いわけではないが、旋律の美しさと厚みのあるオーケストレーション、そして何よりも見事な循環形式が魅力の、英国交響楽の金字塔であると自分は考えている。英国のオーケストラの音はクセの強いものが多いように思える。それがピッタリはまる場合とそうでない場合があるのだが、今回は求めていた響きを聴くことができた。数箇所の目立つミスがあったのは惜しいが……

終演後、特急は混んでいそうだったので普通列車で帰る。西宮北口はお受験のための学習塾が並ぶエリア、というイメージが強いのだが、それをそのまま具現化したような親子が車内におり、割と大声で母親が小学生と思しき息子を叱っていて見ていてしんどかった。

17時頃帰宅し、その後再び駅前に出てカラオケで楽器の練習をした。


6/25(日)

本来なら今日の午前はロシア語の読書会があるのだが、昼からの金管五重奏の練習のために早めに家を出ねばならないのでパスした。

11時半頃家を出る。駅のホームのベンチで、ブランチとして惣菜パンを急いで食べる。

長岡天神駅で降車し、徒歩10分ほどの練習場所に向かう。練習しているウジェーヌ・ボザの《ソナチネ》はなかなかの難曲であり、しかもぼく以外のメンバーが腕利き揃いなのでかなり大変だが、なんとか食らいついていきたいと思う。個人練習を始めた時はあまりの難度に絶望的にもなったが、現状そこまで悲観するレベルでもない出来にはなってきたので一安心である。

なか卯の親子丼を食べたのち、18時頃に帰宅する。当たり前だが、楽器を持って移動した疲れがどっとやってきた。

前書き

2年ほど前、現実がしんどくなった際、気楽かつ真面目な内容を呟く真面目なアカウントとして「帝都ギャラリー」という(おおよそ真面目ではない名前の)Twitterアカウントを作成しました。その後暫くは展覧会や演奏会の感想をそれなりに丁寧に綴っていたのですが、飽き性というか三日坊主というか、そんな性格ゆえに更新を停止し、長く放置した状態が続いていました。

さてそれから時も経ち、環境も変わり、少し逃げ場が欲しくなってきたこともあり、「帝都ギャラリー」を再オープンすることにしました。気楽かつ無難に日々の生活や、展覧会や演奏会の感想や、その他諸々のことについて呟いていくつもりです。

それと並行して、日記代わりにブログを作ってみました。出来事を時系列順に記録する、淡々とした日記が目標です。

「栗色の電車はワルツを踊る」という、小恥ずかしいタイトルは、いつだったか京都でラヴェルの《ラ・ヴァルス》を聴いた帰りに、阪急電車の中でぼんやりと思いついた一文に由来します。特に意味はありません。