6月第4週

6/21(水)

昨日はひどい一日だった。何か嫌なことがあったというわけではないのだが、どうも気分が乗らず、ゼミの前半を休んでしまった。軽い飲み会もあったのだが、人と話す気にもならず、夜までひとり研究室に残っていた。

そんな具合だったので今日は少しでもましな一日にしようと思っていたのだが、いきなり出鼻をくじかれた。起きたら11時だったのだ。8時にセットしたアラームで一度起きた記憶はあるので二度寝である。なんと怠惰なことか。

3限のチェコ語の授業に出た後、研究室に向かう。昨日あんな具合だったので先輩に心配されてしまった。申し訳ないことだ。17時過ぎまで研究室で論文を読む。途中、同期や後輩と雑談をする。昨日よりはだいぶ気分が軽くなったように思える。

研究室を出たのち、売布神社駅前にある小さな映画館に向かう。美術が研究対象に、音楽が半ば生活を構成する要素の一部となったぼくには、「娯楽」が欠如していた。普段映画は殆ど観ないのだが、軽めの趣味としてはいいのでないか、と思ったのである。

伏線の線路の両側にホームが伸び、その一番端に小さな駅舎がある―売布神社の駅は、ごくありふれた私鉄駅だった。その駅に直結する形で商業施設と公共施設が組み合わされたようなビルがあり、その5階に、2つのスクリーンを持つ映画館が設けられているのだ。

本当に小さな映画館だった。ちょっとした待合室の奥にチケット売り場があり、その左右に客席に通じるドアがある。待合室には飲み物と軽食を提供するカフェーが併設されている。それだけだった。しかし、そのこぢんまりとした雰囲気はとても愛おしく思えた。目星をつけていた「パリタクシー」のチケットを購入する。

開演まで30分間あるので、カフェーでコーヒーを頼む。次第に待合室には人が増えてきた。その多くはお年寄りだ。

18時半ごろ、右手の扉が開いた。客席が思ったよりも混んでいるように感じるのは、数十席の小さな箱だからなのだろう。小説を片手に映画が始まるのを待つ。

作品は「笑って泣けるいい話」だった。マドレーヌの生涯は壮絶で驚く場面も多かったが、結末は想定内のもので、そういう意味では普通の映画だった。しかし、その普通さがぼくを安心させた。何よりも、終演後に「よかったわね」と言いながら帰る老婦人方とともにスクリーンを後にするとき、不思議と幸福感に包まれたのである。

映画について一つ思ったことは、アメリカ的要素の扱われ方である。パリを解放したアメリカ軍、その直後のマドレーヌの初めての夜のお相手たる米兵、作中の随所で使われる英語の歌、彼女の息子の命を奪ったベトナム戦争。おそらく「アメリカ」という要素はこの作品の基礎にある一要素なのだろうが、しかしそれが映画の表象にとって何を意味するのかは、まだ自分の中で消化できていない。

20時ごろ帰路に就く。帰り際にコンビニで冷凍のホルモン焼きと砂肝を買う―家の冷蔵庫で残ったカット野菜と一緒に炒めればそこそこおいしいのでは、と思ったのだ。

謎の炒め物はかなり味が濃く、失敗だった。

寝る前に洗濯物を洗濯機に放り込み、明朝に洗い終わるようにタイマーをかける。洗剤が終わりかけていて、微妙に推奨量に足りなかった。

 

6/22(木)

7時半頃、洗濯物が仕上がった音で目覚める。珍しく早く起きられたことに感激するが、そんなに気分はよくない。これはたぶん今日が雨だからだろう。洗濯物を部屋に干し、軽い朝食をつくり―そうしているうちに2時間近く経ってしまった。世の人々は、毎朝早く起きて家事をこなし、仕事に出ているのだと思うと本当にすごいと思う。10時頃家を出たのだが、財布を忘れたことに気づいていったん家に戻る。そのくせ雨に備えて替えの靴下をカバンに入れていたりするので、そのあたりのバランスが悪すぎる。このせいで大学到着は11時少し前になってしまった。どうも、ぼくは生きるのがヘタクソなようだ。12時半ころまで研究室で論文を読む。人が増えてきたので13時から7は図書館で論文を書く。投稿予定は今秋なので急ぐ必要はないのだが、なるべく余裕をもって仕上げたいのと、初めての雑誌論文で少々気分が高揚しているのとで今から書き始めている。15時過ぎごろ、大学を出る。今日も映画を観に行くことにしたのだ。最寄りの中津駅で降り、梅田スカイビルを目指す。中津駅は梅田から一駅だというのに、高架下には時代に取り残されたような飲食店が残っており、その独特なた佇まいには心惹かれるものがある。大きな門のような形のスカイビルは遠くからでもよく目立つ。地図を見る必要もなく、10分もかからずに到着する。ビルの麓には掲揚台が6本並んでおり、うち5本に旗が力なく垂れ下がっていた。左からゲーテ・インスティテュート、イタリア、日本、ドイツ、EU。わずかに風が吹き、旗がやっとなびく。この時、イタリアだと思っていた国旗がメキシコ国旗であることに気づいた。

大阪に7年間住んでいながら、スカイビルに来たのはおそらく過去に2回しかない。1回目は、友人と空中回廊に上った時。2回目はクリスマスマーケットに行った時である。それくらいしか記憶がないので、このビルに映画館があることも知らなかった。

きょうの目当てはソクーロフの「独裁者たちのとき」。ちょっと前にSNS上で予告を見かけて気になっていた作品である。二日連続で映画を観るのもなんだか急な話だが、今日が「独裁者たちのとき」の上映最終日だったので行くことにしたのである。

感想は一言で書けるようなものではないし、たぶんぼくはあの作品の内容を1割も理解できていないと思う。理解するようなものでもないのかもしれない。しかし、なんだかとてつもないものを観た、そんな気持ちにはなった。

本筋とは直接関係なさそうな点で思ったことをいくつかメモしておく。背景描写がピラネージの版画のようだ、と思って観ていたのだが、これはどうやら正解らしい。あと、やっぱりヴァーグナーは使うんだ、と思った。

18時頃映画館を後にする。夕食を作るのが面倒だったので松屋を食べることにする。牛めじは現在400円。高校の頃は280円だったよなあ、と毎度思ってしまうのは金欠学生の哀しい性分というべきか。

昨晩のことを思い出し、面倒だが遠回りしてスーパーに寄り、衣料用洗剤を買って帰る。

 

6/23(金)

どうも、体が重い。目が覚めたのが11時頃だった時点で、今日がそんなに良い日にはならないことが約束された。大学に行くのも面倒なので家で時間を潰す。頭が痛いのでイブA錠を飲む。効いているかはわからないが、鰯の頭よりは効果はあるだろう。

22時頃に洗濯が終わるように洗濯機をセットし、家を出る。駅前の松屋で単品の牛焼肉と白米を食べる。

17時頃、京都に向かう。京響定期演奏会に行くためである。阪急と地下鉄を乗り継ぎ、18時20分頃に北山に着く。開演まで1時間ほど時間があるので、進々堂で時間を潰す。京響の演奏会の前に、ここの2階のイートインスペースでコーヒーとカヌレをいただくのが毎回のルーティンなのだ。今日は生憎カヌレが売り切れていたので別の菓子パンを買う。

演奏会は満足のいく出来だった。サン=サーンスソリストとオーケストラのバランスがとても良かったし、バルトークも熱を帯びながらも整理された好演だった。

室町のキラメキノトリで鶏白湯ラーメンを食べてから帰る。特急や準特急は混んでいそうだったので普通列車でゆっくり帰った。

 

6/24(土)

11時頃、ゆっくりと起きる。早く起きられたら楽器の練習か映画鑑賞でもしようと思っていたのだが、到底できそうにない。12時半頃に家を出て、西宮北口に向かう。バーミンガム交響楽団の来日公演があるのだ。前半のブラームスのヴァイオリン協奏曲は、非常にかっちりとした樫本大進のソロと、明るい響きCBSOという対照的な要素が不思議と心地よく感じる演奏であった。リズムを歯切れ良く聴かせ、絢爛にtuttiを響かせるようなブラームスの作り方は、おそらく本邦のオケならしないだろうと思った。一番のお目当てはプログラム後半、エルガー交響曲第1番である。演奏機会はそこまで多いわけではないが、旋律の美しさと厚みのあるオーケストレーション、そして何よりも見事な循環形式が魅力の、英国交響楽の金字塔であると自分は考えている。英国のオーケストラの音はクセの強いものが多いように思える。それがピッタリはまる場合とそうでない場合があるのだが、今回は求めていた響きを聴くことができた。数箇所の目立つミスがあったのは惜しいが……

終演後、特急は混んでいそうだったので普通列車で帰る。西宮北口はお受験のための学習塾が並ぶエリア、というイメージが強いのだが、それをそのまま具現化したような親子が車内におり、割と大声で母親が小学生と思しき息子を叱っていて見ていてしんどかった。

17時頃帰宅し、その後再び駅前に出てカラオケで楽器の練習をした。


6/25(日)

本来なら今日の午前はロシア語の読書会があるのだが、昼からの金管五重奏の練習のために早めに家を出ねばならないのでパスした。

11時半頃家を出る。駅のホームのベンチで、ブランチとして惣菜パンを急いで食べる。

長岡天神駅で降車し、徒歩10分ほどの練習場所に向かう。練習しているウジェーヌ・ボザの《ソナチネ》はなかなかの難曲であり、しかもぼく以外のメンバーが腕利き揃いなのでかなり大変だが、なんとか食らいついていきたいと思う。個人練習を始めた時はあまりの難度に絶望的にもなったが、現状そこまで悲観するレベルでもない出来にはなってきたので一安心である。

なか卯の親子丼を食べたのち、18時頃に帰宅する。当たり前だが、楽器を持って移動した疲れがどっとやってきた。